カナディアンロッキーの旅(その3)

カナディアンロッキーの旅(その3)

 

5.カナディアンロッキーでの思い出深い出来事を語る

(1)カナディアンロッキーの旅ではいろんな経験をしています。その中でも,印象深い出来事は,山歩きの後疲れた体を癒すのに都合の良いホットスプリングス(温泉)が各地にあり,そこで入浴したということです。

そのうちでも,町の名前が温泉そのものを表すラジウム・ホットスプリングス(Radium Hot Springs) が有名です。ゴールデンから,トランスカナダハイウェイ95号線を南に下り,93号線に合流したところにラジウム・ホットスプリングスがあります。山間にある,大きな温泉プールで,日本のひなびた温泉とは違い,水着を着て入り,泳ぐこともできるくらい大きな温泉プールです。ここで,入浴していた時,カリブーロッヂのガイドスタッフのウェンディに会い,彼女も疲れた体を癒しに来ていました。山歩きで疲れた時にはホットスプリングスは最高です。

それ以外にも私達はジャスパーから東のエドモントンの方向に1時間位走ったところに,ミエッテ・ホットスプリングス(Miette Hot Springs) があり,ここの温泉プールにも入っています。雄大な自然の中にあるホットスプリングスは,ホテルでの風呂場やプールとは違って,青空の下で開放感のある憩いの場となっています。レンタカーで移動していたため,各地のホットスプリングスめぐりも可能となるのです。他にはバンフにあるホットスプリングス(Upper Hot Springs)にも入っています。ここはあまり大きくありませんでした。

 

(2)カナディアンロッキーを旅する中で,色々な湖をめぐり,その周辺を歩いています。そこで感じたのは,湖の色の美しさということです。エメラルドグリーンの美しさを誇るエメラルドレイクや,透明で澄んだ色のボーレイク(ここでは湖の周辺をホースバックライディングで回りました)。それ以外にも乳白色がかったブルーの湖が至る所にあり,本当にきれいな色の湖が多いです。しかもその色が場所により各々少しずつ違うのです。何が原因でこのような色になるのかわかりません。氷河や雪解け水が乳白色となっているのは,ヨーロッパアルプスでも経験していますが,カナディアンロッキーの湖の色はそこにブルーの色が混入して何とも言えないきれいな宝石のような色をしているのです。ボーレイクでは,朝日があたる早朝には,色が乳白色変わって見えるのを発見しました。不思議な現象です。

 

(3)さらにいろいろなアクティビティも経験しました。

フォートレストレイクロッヂは,湖のほとりにありましたので,ここでカヤッキングを体験しました。乗ったのは,二人乗りのカヤックでしたが,乗り込んでから足で踏み込みながらカヤックの後部についたヒレのようなもので方向を調整しながら進むようになっています。湖の中をカヤックでゆっくりと進んで対岸へ行き,そこから森の中を散策したのでした。

バカブーロッヂでは,近くの小さな湖で参加者間のカヌー競争をしました。これも二人1組でチームを作り,右側用と左側用のオールを2人で分担して漕ぎ,早さを競うのです。左右のバランスを取らないと素早くまっすぐに進みません。京子はカナダ人の女性と組み,バランス良く進み,相手チームを圧倒しました。これは,ロッヂの宿泊者同士が仲良くなる工夫でしょうか。終わった後は,キャンプファイヤーで交流を深めたのです。

カナディアンロッキーの中を流れるキッキングホースリバーでは,ラフティングを体験しています。大きなゴムボートに,ヘルメットとセーフティジャケットを着て,数名で乗り込み,急流を下ります。川の水は雪解け水ですから非常に冷たいですが,夏場でしたから急流を下るのは楽しいものです。でも途中,滝壺のようなところで,ゴムボートから降りて,近くの岩の上から中心に向かって飛び込むように言われました。私は挑戦しませんでしたが,京子はそれにチャレンジしたところ,水の中は心臓が凍るかと思う程冷たかったとのことです。キッキングホースリバーとは「暴れ馬の川」という意味でしょうから,何となくラフティングの様子が想像できますネ。

バカブーロッヂでは,ヘリハイクを体験しました。これはロッヂの近くの山の頂へヘリでいき,そこからハイキングをするものです。下から歩いて山頂に行くのと違い,いきなり山頂まで連れて行ってもらい,山の尾根を歩くのですから,体力はあまりいりません。そこで,高山植物や小動物を探しながら,ゆっくり歩くのも楽しいものでした。その最中にモスキャンピオンという岩にへばりついたピンクの小さな植物を知りました。いろいろな高山植物の写真を撮りながら歩く熟年夫婦もいて楽しいものでした。

(4)フォートレストレイクロッヂでは,驚きの体験をしました。泊まっていた小さなロッヂでのことです。明け方に外でごそごそと音がしました。風が吹いているのかと思っていたら,朝起きてみると外に置いてあった京子の登山靴の底がかみ切られていたのです。犯人は子熊でした。近くにはたくさんベリーが生えており,子熊がそれを食べに来ていたのです。やむを得ず京子は底の破れた靴をテープで補強して旅に戻ったのです。カナディアンロッキーにはいろんなベリー(いちご)がはえており,ベリーピッキングを楽しむと聞いたことがありました。

 

6.最後にマウントロブソンでのキャンプをお話しします

私達はカナディアンロッキーでは主に宿に泊まりながらハイキングやトレッキング中心の旅をしていました。でもカナディアンロッキーで唯一キャンプを経験したことがあります。それがマウントロブソン(Mount Robson)キャンプグランドでのキャンプです。

マウントロブソンは,カナディアンロッキー山脈の中では最高峰の山(3954m)です。

マウントロブソンへの登頂を目指すキャンプグランドまで行くには,登山口から先は歩くより方法はなく,途中,宿泊施設がないため,通常はテント泊の用意が必要となります。そのため,ロブソンアドベンチャーセンターに行き,そこのガイドにヘリでマウントロブソンが正面に見えるバークレイク(Berg Lake) のキャンプグラウンドまで連れて行ってもらうことにしました。

ところが,朝8時にアドベンチャーセンターに来るよう指示されていたので,8時過ぎに行ってみると誰もおりません。おかしいと思って中を覗いてみると,京子が「まだ7時だ」と叫びました。マウントロブソンはブリティッシュコロンビア州にあるから,私達がいた隣のアルバータ州より1時間遅いことに気が付いたのです。アルバータ州はこの時期,山時間(マウンティンタイム)で1時間早いのです。しばらくして,7時半頃にガイドのBrantがやってきました。彼は,「我々が時間を間違えているかもしれない」と少し早めに来たとのことです。

マウントロブソンは,ブリティッシュコロンビア州のマウントロブソン州立公園内にあり,東側はジャスパーナショナルパークに隣接しています。通常バークレイクのキャンプ場へ行くには,ジャスパーから車で西へ約1時間と少しかけて登山口に行き,そこで車を降りてここから山道を21キロ歩いて,目的地へ行きます。そのため往復するにはテント泊の準備が必要となるのです。

我々は,マウントロブソンのキャンプグランドへの登頂が旅の目的ではなかったため,キャンプ用品の準備はありません。そのため,アドベンチャーセンターのBrantにキャンプ用具の準備を全て委ねており,ヘリでキャンプグランドまで飛んだのです。

そこでテントを張り泊まることにしました。ここはバークレイクとマウントロブソンが正面に見える素晴らしいところでした。カナディアンロッキーの旅で初めてのキャンプの体験でした。

翌朝6時半に起きて,マウントロブソンを見上げると,頂上付近の雲が跡切れ徐々に晴れてきました。しばらくしてBrantはUnbelievableを連発します。なかなかマウントロブソンの頂上は晴れないらしく,ところが今日は9時前頃には完全に頂上が晴れて見えたのです。

この日の午前中は,ロブソングレーシャーへ行き,氷河の上を歩きました。氷河の上は滑りやすくクレパスに落ちたら大変です。でも少しずつ氷河が迫り上がり,小さくなっているのがわかりました。現在と昔の比較のため,数10年前の氷河の位置が表示されていたからです。

氷河から戻ってみると,夕食のバーガーをカラスに盗まれてしまったことがわかりました。Brantは謝りましたが,我々は正直言ってテントでの食事には期待していなかったので気になりませんでした。

その後,次のキャンプ地のホワイトホーンキャンプグランドに向かうことにしました。

 

その途中で,2人の日本人連れに出会いました。彼らのパーティーがマウントロブソンで一番難しいと言われている南の壁面からの登頂を目指しているという相模原の山岳会のメンバーでした。しかし,「登頂隊と連絡がとれず心配だ」とのことで,「もし予定の時間を過ぎても戻らなければ,自動的に救援隊が出ることになっている」と説明してくれました。

2日目のキャンプも何とか乗り切れました。我々は次の休憩地のキニーレイクへ向かって下りました。するとそこに前日の相模原の山岳会のメンバーが,登頂隊からの連絡を待っていました。その時交信が入り,「昨日の朝9時15分頃に登頂に成功した」との連絡です。思わず歓声が上がりました。メンバーは女性を含む6人で,3人が登頂を目指していたとのこと,丁度BrantがUnbelievableを連発したあの直後に登頂に成功したようです。2度目のチャレンジとのことでした。

さて,このキャンプ巡りで知らされたことは,自然の偉大さです。これでもかこれでもかと自然は迫ってきます。その中で人間は自然と共に生きていることを知らされた日々でした。

 

7.結びにかえて

カナディアンロッキーの旅は,自然の中で生きている自分を知る旅でした。あまりにも雄大な自然に圧倒されながらも,そこにぽつんと存在している自分を感じながらの旅です。でもこの時にはまだ山登りにチャレンジするというより,自然とどのようにかかわるのかということが目的の旅だったと思います。

その後はヨーロッパアルプスの山歩きを体験する中で,徐々に山登りの旅へと変化してゆきました。

私たちはカナディアンロッキーの雄大な自然に触れることができ,感謝したいと思っています。

カナディアンロッキーの旅(その2)

カナディアンロッキーの旅(その2) 

3.目的地の選定をする

広いカナディアンロッキーには,おそらく数百以上のトレイルがあり,見どころも一杯あると思います。その中から限られた期間内で,歩くことができる素敵な場所を選定することは,なかなか大変です。

そこで,私達がどうやって見どころを選定して歩き回ったのかをお話しします。

私達がカナディアンロッキーを歩いた時期は,8月の夏休みとなる期間の約2週間でした。この時期は,裁判所も更替で休みとなり,ほとんど裁判の期日が入らないから山歩きには好都合です。2週間と言っても往復は1泊ずつ飛行機内泊となるから,概ね12日間がロッキー内で移動できる期間となります。

そこで,その間を前半と後半に分けて,広いカナディアンロッキーの中でメインとなる場所を決めて動きました。その時参考にしたのがカナディアンロッキーのナショナルパークの中にある山小屋(ロッジ)です。この方法はいろいろな山小屋(ロッジ)に泊まりながら付近の雄大な自然を楽しむという方法です。山小屋と言っても2~30人以上も泊まれるものもあり,小さな山岳ホテルのような印象を持ちました。これらの山小屋(ロッジ)にはヘリコプターで入山したり,馬で入山したり,ハイキング(かなり長距離となります)で入山したりします。このような楽しみ方をロッジンクと言うようです。

私達が参考にした「カナディアンロッキーハイキング案内」の中に,いろいろなロッジの案内があり,事前に予約をして行くことになります。概ね1週間単位で予定が組んであり,3泊4日または2泊3日でローテーションとなっています。勿論山小屋には定員制限があるので,同じ機会に入山したメンバーと一緒に付近の自然をゆったりと楽しむことができるのです。私達は1回の旅行で多い時には前半と後半に2箇所のロッジに泊まることもありました。でも大体は前半に1箇所のロッジに泊まり,その間隙をぬってカナディアンロッキーを車で移動しながら,ハイキングをしつつ山や湖を回るという方法をとりました。

私達がメインとして回った山小屋(ロッジ)は,①パーセルロッジ,②アシニボインロッジ,③バカブーロッジ,④ミスタヤロッジ,⑤フォートレスレイクロッジ,⑥シャドウレイクロッジ,⑦オールソンズロッジ,⑧ディクソンズチャーレーなどです。このうち①から⑤はヘリで,⑦と⑧は馬に乗って,⑥はハイキングで4時間から5時間もかけて入山するのです。ヘリで入山する場合は,約10分から遠いところで40分位のフライトですが,ヘリからの景色が素晴らしく印象的でした。でもヘリを使うと少々高くなるのが玉に疵です。馬での入山は5時間・6時間かけて目的地へ行きますが,そのためお尻が痛くなり,足がしびれてしまいます。でも日本ではなかなか味わえない体験でした。

そこで,各々の山小屋での出来事で印象深かったことをお話しします。

 

4.印象深いロッジでの出来事を語る

(1)トンキンバリーの2つのロッジ

私達が訪れたロッジの中で一番印象に残ったところは,ジャスパーナショナルパーク内にあるトンキン・バリー(Tonguin Valley)のオルソンズロッジとディクソンズ・シャレーです。この2つのロッジはいずれもアメジストレイク(Amethyst Lake)の東岸と北岸にあります。この湖はニジマス釣りで有名なところで,馬に乗って(ホースバックライディングといいます)5時間から6時間かけて入山します。この2つのロッジはいずれもニジマス釣りとホースバックライディングを満喫させてくれることで人気があるようです。

ここでカナディアンロッキーでのホースバックライディングの説明を少ししておきます。私達はトンキンバリーのロッジで長時間乗馬をしながら入山をすることを案内文で知りました。そこで,乗馬の練習のため,事務所の近くの緑地公園の乗馬クラブに行って訓練をしました。全く乗馬の経験がなかったからです。ここで教わったことは,馬の背中に乗りながら大きく足で踏んばり,上下動をしてお尻を浮かせて乗る方法です。そうしないと歩くたび馬の背骨がお尻にあたり痛いからです。この練習を日本で3~4回してから,カナディアンロッキーのトンキンバリーへの登山口にある小さな牧場に車で行きました。ところが,そこで馬で移動する際教えてくれたことは,右に曲がる時には右手で,左に曲がる時は左手で手綱を引く,そして止まる時は両手で手綱を引くという,ごく簡単な説明をしただけです。そしてすぐに馬に乗って歩き出しました。日本で練習したようにお尻を持ち上げなくとも痛くありません。それはカナダの馬は背中が広く,巾の広いサドルのため(ウェスタンスタイルというらしいです)馬の背骨で下からつき上げられることがほとんどなかったからです。でも5時間も6時間も馬に乗るとさすがにお尻や足がしびれてしまいます。でも必死に頑張って馬に乗って20km以上も山奥へ進み,目的地のアメジストレイクの麓のロッジにたどりついたのです。

この経験は衝撃的でした。これですっかり乗馬に慣れて好きになりました。馬は隊列に遅れそうになると軽くギャロップをしてくれます。残念なことに馬が全力で走り出すことはありませんでしたが,馬でカナディアンロッキーのメドウ(草原)の中を歩き回る楽しさを体験できました。

ここのロッジでは,ウォーキングの他にフィッシングをするか,ホースバックライディングをすることがメインとなります。私達は当然ホースバックライディングを希望しました。ところが,その途中でカナディアンロッキーにいるグリズリー(灰色熊)に出会いました。グリズリーは立ち上がると2m近くにもなり非常に危険な熊です。馬と同じ位のスピードで走りますので,追いかけられたら逃げられません。

でも,この時は馬で隊列を組んでいたので,我々に向かってくることはありませんでした。その日の夕方,ナショナルパークを警備しているパークレンジャーがヘリで「グリズリーが出たから気をつけるように」と呼びかけていました。グリズリーにおそわれたら大変なことになるからです。ここでは”You are in Bear Country”と言われるのです。

夕食には,その日に釣れたニジマスが焼かれていました。夜には釣りに来たメンバーの部屋でパーティーが始まります。私は日本の歌を歌いながら楽しくすごしました。ところが帰る時になり,釣りをしに来た親子連れが私のところへ来て,「来年もこの時期にアメジストレイクに来るから,お前も来ないか」と言うのです。私は笑って何とも返事をせず,おみやげ用に日本から持って来ていた箸をあげ,お礼を言って別れました。

トンキンバリーの2つのロッジ(合計2回行っています)でのホースバックライディングは,私達にカナディアンロッキーでの新しい楽しみ方を教えてくれたのでした。

(2)マウントアシニボインロッジ

次に,私達がすばらしい出会いを経験したのがバンフナショナルパークから進み,隣のマウントアシニボイン(Mount Assiniboine)州立公園内にあるマウントアシニボインロッジです。マウントアシニボイン(3618m)が間近に見えるこのロッジは,1928年に建てられたという伝統ある山小屋です。すぐ前にレイクメイゴック(Lake Magog)があり,景色の素晴らしいところです。

ここへの入山方法はキャンモア(Canmore)から車で42km程入ったヘリポートからヘリで(約10分です)入山するか,そこから約26.7kmを歩いて入山するかの方法です。私達は,往きはヘリで,帰りは歩いて下山する方法を選びました。26.7km歩くのはかなり大変でしたが,同時に下山する女性達と一緒に歩いたのです。(カナダの女性は大きく足が早くてついていくのは大変でした)

ここのロッジで素敵な出会いがありました。私達がロッジの周りを散歩していると,スケッチブックを持って回りの風景を写生する熟年夫婦を見つけました。京子はそれを見て”Your hobby is good”と声をかけたのです。すると,男性が”Not hobby, professional”と答えました。彼はジャスパーのみやげ物店などで絵葉書きなどの絵を描いている画家だったのです。リタイアする前は地元の新聞社で風刺画などを描いていたということでした。名前をヤーデリーショーンズ(ヤーデルといいます)といい,エドモントンに住んでいるということで,足の悪い奥さんのメアリーを連れて風景の写生をするために来ていたのです。

私達はすっかり仲良くなり,いろいろ話をしているとヤーデルが「私達の似顔絵を描いてやろう」と言い出し,私達の写真を撮り,似顔絵を日本へ送ってくれることになりました。ヤーデルがこの時描いて送ってくれた似顔絵は私の事務所に大切にかざってあります。ほんとうはマウントアシニボインには登っていないのに登ったように描いてありますので,事務所に来た時に是非お見せしたいと思います。

この時の出会いが縁で,私達はカナディアンロッキーに来た時には帰りにエドモントンの空港から帰ることにして,前日には,ヤーデルの家へ遊びに行く予定を組み,合計4回程行きました。3人の子供達は独立して孫が10人いるとのことで,メアリーは「この家族全員が私の宝物だ」と言って自慢をしていました。その後メアリーは亡くなり,ヤーデルも引越し,連絡がとれなくなってしまいました。でも私達の忘れられない思い出の1つとなっています。

カナディアンロッキーの旅(その1)

カナディアンロッキーの旅(その1)

1.カナディアンロッキーの山歩きの旅の特徴
私達夫婦は,最近の10年は専らヨーロッパアルプス,なかでもシャモニーを起点にしたアルプスの山歩き・山登りが中心です。でもその前の約10年間は,カナディアンロッキーでの山歩きの旅が中心でした。それ以外にも,この間世界各地の山々を歩いています。今回は,カナディアンロッキーでの山歩きの旅の話を紹介しましょう。
私達夫婦は,専ら海外での山歩き・山登りが中心で,日本の山で登っためぼしい山はせいぜい大山や六甲山など西日本の山が中心でした。今後はもう少し日本の山も歩こうと思いますが,日本の山は少々人が多すぎるのが難点です。
そもそも私達が海外旅行に行くようになったのは,私が10年程勤めた事務所を退所して自分の事務所を持ち自由に海外にも行けるようになってからです。丁度その頃西名阪超低周波の公害訴訟が和解で終了したところで弁護団員とその家族でフィジー旅行をしたのが最初です。以後毎年のように外国へ行くようになりました。ある時スイスのツェルマットで泊まり,マッターホーンの麓を歩いたのがきっかけで私達は山歩きに目ざめました。それからと言うものは,山歩きのできる海外の目ぼしい場所を探して出かけました。その1つにカナディアンロッキーがあったのです。
私達が経験した山歩きの中では,ヨーロッパアルプスとカナディアンロッキーが双璧でした。山々の美しさではヨーロッパアルプスが最高でその美しさは圧倒的です。それに対し自然の雄大さではカナディアンロッキーが群を抜いています。例えて言えば,富士山が何百個も連なっている様な感覚です。それ位雄大な山脈がロッキー山脈です。ですから旅行のスタイルもヨーロッパアルプスでは1箇所の街に滞在してアルプスの山々を歩くのに対し,カナディアンロッキーでは,車で移動しながら各地を探索して歩くのが適していたのです。そこで私達のそんな広大なカナディアンロッキーの旅を御紹介しましょう。

2.カナディアンロッキーの旅の仕方
まず最初に,カナディアンロッキーとはどの辺りをさすのかを説明します。
ロッキー山脈は北米大陸のメキシコ,アメリカ,カナダの西側を縦断する山脈で,そのうちの北の方のカナダ国内の約1450㎞位をさすと言われています。これは日本の本州の長さに匹敵するものです。この広大なカナディアンロッキーを旅する際,私達が参考にしたのは,「カナディアンロッキーハイキング案内」(山と渓谷社出版)という本です。ここには多くのハイキングコースが載っており,現在でも十分利用できるものと思います。
さて,私達は初期の海外旅行を除いて,原則として,既存の旅行会社のツアーには参加せず,自分達で飛行機と宿を予約して旅行をすることにしていました。それは旅行会社のツアーを利用するとかなり割高となることを知っていたからです。例えば当時,レイクルイーズの有名な最高級ホテルシャトーレイクルイーズでの宿泊費が現地で予約したら二人で1泊209ドルで済んだのが,旅行会社のツアーでは1人で2倍の約4万円の費用がかかっていることを知りました。ですから実際には,トータルで半額とはいいませんが3分の2位で十分同じところを旅することができたのです。
それではもう少し具体的にそのエッセンスをお話します。
(1)まず,移動手段からお話します
関西空港からバンクーバーを経由してカルガリーまで飛行機で行きます。飛行時間はバンクーバーまで8時間半,さらにカルガリーまでは約1時間と少しかかります。そして,カルガリーの空港でレンタカーを借りました。(勿論予め日本で予約をしておきます。)カナダのレンタカー会社には,コンパクトカー(1500~2000ccクラス)に日本車が置いてあり,できる限りこれを借りるようにしました。それは日本車を借りていて大変助かったことがあるからです。カナナキス地方の山奥で車がパンクをしてしまった時,乗っていたのがトヨタ車だったため,タイヤの取り替えに苦労せず無事予定通りに目的地に着くことができました。(もし外国車だったら取扱い説明書を読むことからしなければならず,大変です。)広大なカナディアンロッキーは,車で各地を移動しないと公共交通機関が少ないので大変不便な旅となりかねません。私はカルガリーで車を借りて,バンフ・レイクルイーズ・ジャスパーを経てエドモントンの空港まで約800㎞位移動して車を返却することが多かったのです。それ以外にもバンクーバーの空港で車を借りて,トランスカナダハイウェイ1号線を1000㎞以上移動してカナディアンロッキーに入り,そして帰りは同じ道をバンクーバーまで戻ったこともあります。このトランスカナダハイウェイ1号線は,バンクーバーからカナディアンロッキーを横断しており西と東を結ぶ主要道路となっています。この道路でキャンピングカーをつないで走る車を多く見かけました。カナディアンロッキー内にはいたるところにキャンピングカーを止めるエリアがあり,カナダ人はキャンピングカーで旅行を楽しむ人が多いようです。
(2)次に宿をどのように決めたのかお話をします
カナディアンロッキー内での中心的観光地では,夏のシーズンは観光客が多いため宿は事前の予約が必要となります。でもレンタカーで移動する場合にはあまり心配はいりませんでした。それはトランスカナダハイウェイ沿いにはモーテルが結構多く有り,“vacancy”の表示があれば比較的安く(80ドル位)泊まれたからです。私達は初日にカルガリー郊外のモーテルで泊まったり,思いきってバンフの手前20㎞のキャンモアまで行きそこで宿を探して泊まりました。必要に応じて泊まった宿から次の宿泊予定地の宿を予約すれば,ほとんどのところで泊まれました。但し,一度大失敗をしたことがあります。レイクルイーズからジャスパーへ向かっている最中,宿を見つけて泊まろうとしましたがタッチの差でその宿をとりそこねてしまい,結局ジャスパーから100㎞以上の先の小さな町まで宿を求めていくはめになってしまったのです。この時はうす汚い宿で一夜をあかし,翌日ジャスパーまで戻りました。
この時の教訓として,観光地の周辺では昼間の3時位までに泊まる宿を決めないと空いている宿がなくなってしまうので,余裕をもって早めに宿を決める必要があるということです。(特にジャスパー周辺では要注意です。)
ところで,カナディアンロッキーには,数多くのナショナルパークがあり,そこには必ず「Info.」の表示のある観光案内所があります。そこで国立公園内の山歩きの案内地図をもらったりする外,宿泊場所の情報を載せてあるアコモデーションガイドの冊子がありますので,それをもらって次の宿を物色することが多かったと思います。でも車で移動する場合,基本的には観光地から少し離れたところに宿をとる覚悟をしておけば,予約がない場合でもあまり心配することはありませんでした。
(3)最後に買い物(食べ物)の話をしておきましょう
私達は海外旅行をする際,原則として自炊をすることにしていました。日本から旅行用の電気ポット(鍋)を必ず持参し,お湯をわかしインスタントラーメンを作ったり,味噌汁を作ります。カルガリー,バンフ,レイクルイーズ,ジャスパーには,日本食品を備えてあるスーパーがあり,ここで果物,インスタントラーメンやパン,ハム,サラダ等を買い,山歩き用の昼食を準備したのです。ですから,カルガリーでレンタカーを借りたら,すぐ市内でスーパーを探し,以後の食料を調達することにしていました。そして移動する度に次の宿を確保すると同時に食料を買い足して旅行を続けたのです。レンタカーの場合,このように臨機応変に対応できるから都合が良かったのです。
結局宿に泊まっても私達は買い込んだ食料で自炊をしましたから費用はかなり安くおさえることができました。おそらく外食の半分以下でしょう。カナディアンロッキーで高級ホテルに泊まり,豪華な食事をすることが目的ではありませんでしたから,これで私達は十分満足できたのです。それでも,時々日本食が恋しくなり,ジャスパーに日本食を出してくれる店や食べ物店がありましたので,これで少し安心しました。
ここで買い物の件をお話しましょう。中心的観光地には,みやげ物店や山の用品をそろえた店が多くありますが,その中でも妻の京子は,カルガリーでマウンテンコープを見つけ,会員となり必要に応じ山用品を調達しました。日本で買うより安くて機能的なものが多くあったからです。そのため京子の山用品の大半は外国で購入したもので占められています。しかしその場合カードで買い物をするため,どうしても高い物を購入してしまいがちです。ところが,同じ物が日本の店ではさらに高額になっており,驚くことがよくありました。
以上述べたことを念頭に,カナディアンロッキーの旅の具体的内容に踏み込んでお話したいと思います。但し,ここで述べたことに頭を使うのは大変だと思ったら,旅行会社のツアーに申し込めば,移動手段,宿などの心配はしなくとも良いでしょう。でもその分確実に割高となることは間違いありませんが・・・。最近は現地での日本人向けの山歩きのツアーもあるようです。

相続法制の改正を考える(その2)

相続法制の改正を考える(その2)

1.はじめに
前回では相続法制の改正の契機とその内容についての概観(全体像)を,3つの視点からお示ししました。
今回は,前回に示した概観にそって改正法について具体的な内容に踏み込んでお話します(改正条文を引用しておきましたので,参照してみてください)。

2.配偶者保護のための方策について
相続法制の改正は多岐に及んでいますが,まず最初に示した「配偶者保護のための方策」としてどのような内容が規定(新設)されたのかという点からお話します。大きく3つの改正点があります。
(1)「持ち戻し免除の意思表示の推定規定」(新民法903条4項)
規定の内容(新民法903条4項)
この規定は,婚姻期間が20年以上の配偶者の一方が,他方に居住用不動産(土地及び建物)を遺贈又は贈与した場合に,遺産の先渡し(特別受益)を受けたものとして取り扱わなくともよい(これを「持ち戻し免除の意思表示」といいます)との意思表示をしたと推定する,と言うものです。
この規定はあくまで推定規定ですから,被相続人から反対の意思表示があった場合には推定はされません。
この内容を理解するために,現行制度と改正法ではどのように取り扱われるかを説明します。
具体例を示します。
被相続人が20年以上連れ添った配偶者に,居住用の家と土地を,生前に,贈与した場合,遺産分割でどのように取り扱われるのでしょうか。
① 現行制度(特別受益者の相続分民法903条1項)の場合
生前に贈与を受けたとしても,遺産の先渡し(これを特別受益といいます)を受けたものとして取り扱われるため,最終的に遺産分割で取得する財産額は,贈与がなかった場合と同じ取扱いとなります(具体的には何らの意思表示がなければ法定相続分の通りとなります)。
② 改正法が導入された場合の取扱い
被相続人の持ち出し免除の意思の推定規定を設けることにより,原則として,遺産の先渡しを受けたものと取り扱う必要がなくなり,配偶者はより多くの財産を取得することができるようになります。つまり,贈与の趣旨に沿って,贈与財産は遺産分割の対象財産からはずされて,残りの遺産で遺産分割がなされることになるのです。

(2)配偶者の長期居住権の保護のための規定(新民法1028条から1036条)
ア.「配偶者居住権」の新設の規定
① 意義
「配偶者居住権」とは,配偶者が相続開始時に居住していた被相続人所有の建物に対し,原則として終身の間,建物の使用を認める,法定の権利をいいます(新民法1028条1項本文)。
② 取得原因
○ア 遺産分割協議(1028条1項1号)
○イ 遺贈(同項2号)
○ウ 死因贈与(民法554条が準用する1028条1項2号)
○エ 遺産分割審判(1029条)
③ 効果
○ア 配偶者は,居住建物の全部について使用収益権を取得します(1032条1項)
○イ 期間は原則として終身の間となります。但し例外があります(1030条)
④ 消滅事由
○ア 建物所有者による消滅請求(1032条4項)
○イ 配偶者の死亡(1036条,債権の改正法597条3項)
○ウ 目的物の滅失等使用不能(1036条,債権の改正法616条の2)
○エ 期間満了(1036条,597条1項)
イ.制度導入のメリットは何か
配偶者が自宅で居住することを選択しても,その他の財産がより多く取得できる余地が生まれます。つまり配偶者居住権を選択した場合,その財産評価は,居住用財産の所有権から切り離され,ある程度低く評価されるため,残余の権利分(これを負担付き所有権といいます)を,他の相続人が取得することになり,その分だけ配偶者が別の財産(預貯金等)を取得できるようになるからです。
ウ.具体例を示します。
相続人が妻と子で,遺産が自宅(2000万円)と預貯金(3000万円)の場合で,相続分は1対1の場合を考えます。
現行法 ①妻が自宅の所有権を取得(2000万円)すると,預貯金は500万円しか取得できません。
②子は預貯金2500万円を取得することになります。
改正法 ①妻が自宅の配偶者居住権を取得(1000万円)すると,預貯金の取り分は残余の権利分(1000万円)だけ増えて,合計1500万円を取得できることになります。
②子は,負担付所有権(1000万円)と預貯金1500万円を取得することになります。

但し,配偶者居住権の評価方法については,今後様々な知見に基づいて確立していく必要があるとされています。

(3)「配偶者の短期居住権」の保護のための規定(新民法1037条から1041条まで)
ア.「配偶者短期居住権」の新設規定(1037条)
① 意義
配偶者が相続開始時に被相続人の建物に無償で住んでいた場合に,一定の期間,居住建物を無償で使用する権利,を取得することができます。これを「配偶者短期居住権」といいます。
② 期間
○ア 配偶者が遺産分割に関与する時は,居住建物の帰属が確定するまでの間(ただし,最低6ヶ月間は保障されます)居住建物を無償で使用できます(1037条I項1号)。
○イ 居住建物が第三者に遺贈された場合や,配偶者が相続を放棄した場合でも,居住建物取得者から消滅請求を受けてから6ヶ月間は保護されます(1037条I項2号,Ⅲ項)。
イ.制度導入のメリット
配偶者が被相続人の建物に無償で居住していた場合,被相続人の意思にかかわらず,一定期間はこれを保護するもの(最低6ヶ月間は保護される)です。

3.まとめ
高齢化社会の進展に向けて,残された配偶者の老後の生活保障の必要性が高まってきます。
そのために,今回の相続法制の改正では,配偶者居住権または配偶者短期居住権という権利を認めて,配偶者の居住用の建物の利用を保護する制度が導入されています。
しかしながら,配偶者居住権の評価をどのようにして算定するかという点は,必ずしも単純ではありません。
特に,相続税の算出のための計算上の評価額と,売買のための負担付き所有権の実勢価額には乖離が生ずる可能性もあり,今後の課題でもあります。
尚,配偶者居住権に関する規定は,民法の債権法改正とも密接にかかわる部分があるため,民法の債権法の改正の施行日と同じ2020年4月1日以後に開始した相続について適用されますので注意をして下さい。

相続法制の改正を考える

相続法制の改正を考える

1.相続法制の大幅改正
近年,民法典の相続法制が昭和55年以来の40年ぶりの大幅な見直しが行われ  ました。相続法は,弁護士業務のみならず税理士業務においても重要で,密接にかかわるものだけに,その法改正の中味を正確に知っておく必要があります。
そこで,その改正の内容を読者の皆さんに簡潔にご説明致します。

2.相続法改正の契機は何か
平成25年9月4日に最高裁判所で非嫡出子の法定相続分を嫡出子の2分の1と 定めた民法900条4号但書き前段の規定を違憲とする判断が示されました。そのため,この規定を削除する法案が出されたことが,相続法制を全般的に見直しをする契機となったと言われています。
それは,日本社会の少子高齢化の進展に伴う社会経済情勢の大きな変化が背景にあります。つまり,相続開始時に残された配偶者の年齢が相対的に高くなり,その生活保護の必要性が高まる一方で,少子化により相続人である子供の数が減少し,その取得割合も増加しつつあり,これらに見合った形で,相続法制の見直しの必要性が指摘されたのです。
そのため,相続法制の見直しに関する法務省の法制審議会の答申を踏まえ,以下の2つの法案が出されました。
第1の法案が「民法及び家事事件手続法の一部を改正する法律案」です。
第2の法案が「法務局における遺言書の保管等に関する法律案」です。
この2つの法案は,2018年(平成30年)7月6日可決成立し,同月13日に公布されました。

3.今回の改正を3つの観点から検討します
さて,今回の法改正は,相続法全般に亘っていますが,大きく次の3つの観点からこれを鳥瞰することができます。
(1)第1の観点は,配偶者保護のための方策です
① 持戻し免除の意思表示の推定規定(新民法903条4項)
この規定は,特別受益者の相続分を算定するに当たり,その特別受益を受けた配偶者が,20年以上の夫婦として,居住の建物又はその敷地を遺贈又は贈与を受けた場合には,その分の評価を加算して,相続分の計算をしなくとも良い旨の意思表示があった(これを持ち戻し免除の意思表示といいます)として推定する旨の規定です。
② 配偶者居住権(新民法1028~1036条)の新設
被相続人の配偶者の居住建物を対象に配偶者にその使用を認める法的権利を創設し,遺産分割等における選択肢の1つとしてこれを認めるものです。
③ 配偶者の短期居住権(新民法1037~1041条)の新設
被相続人の配偶者が相続開始時に遺産の建物に居住していた場合には,遺産分割が終了するまでの間,無償でその居住建物を使用できるようにするものです。
これらの規定はいずれも被相続人の死亡後に残された配偶者の居住権を保護するために認められたものです。
(2)第2の観点は遺言の利用促進のための方策です
① 自筆証書遺言の方式の緩和(新民法968条関係)
これまでは自筆証書遺言をする場合には,遺言内容の全文,日付,氏名を自  書しなくてはなりませんでしたが,遺言内容のうち不動産や預金などの財産目録に関しては,自署する必要はなく,目録そのものに署名,押印するだけでよいことになりました。
② 遺言執行者の権限の明確化(新民法1007条,1012条~1016条)の新設です。
この規定は,遺言内容の円滑な実現を図るために遺言執行者の権限を明確化し,無用な紛争が生じないようにしたものです。
③ 法務局における自筆証書遺言書の保管制度の創設(遺言書保管法)
この制度を利用することにより,自筆証書遺言の紛失や隠匿等が防止できるようになりました。この制度を利用した場合には,裁判所による自筆証書遺言の検認手続きは不要となります。
(3)第3の観点は,相続人を含む利害関係人の実質的な公平を図るための見直しです
① 遺産の分割前に遺産に属する財産が処分された場合の遺産の範囲(新民法906条の2)に関する規定の創設です。
この規定は遺産分割前に財産が共同相続人の一人によって処分された場合には,他の共同相続人の同意の下に,処分をした共同相続人の取り分を組み戻し,処分前と同等にすることができるとするものです。
② 特別の寄与制度の導入(新民法1050条)
この制度は,相続人に該当しない親族(相続人の配偶者など)が被相続人に対し介護等の貢献を行った場合に,この貢献に報いるため,この者が相続人に対して金銭請求をすることができる制度を創設するものです。
(4)それ以外の見直しで留意すべき主な点は次の通りです
① 遺産分割前の預貯金の払戻請求を認める制度の創設があります(新民法909条の2)。
これまでは,遺産分割が終了するまでの間は,相続人単独では銀行で凍結された預貯金債権の払戻ができず,葬式費用の支払いや生活費の支出のため困っていたのを改善しました。
但し,単独で銀行等の窓口で払い戻しのできる額は預金額の3分の1に法定 相続分を乗じた分に限ります(金融機関毎に150万円が上限となります)。
② 遺留分権利者の権利行使によって生ずる権利の金銭債権化の創設(新民法1046条)があります。
これまでは,遺留分の権利を行使すると,すべての財産について共有関係が生ずるとされていました。しかし,これをやめてすべて金銭債権とすることになりました。これにより,不動産等の持分の処理に伴って発生した支障がなくなりました。
③ 「相続させる」旨の遺言等によって承継された債権が法定相続分を超える分について,対抗要件主義とする旨の規定の創設(新民法899条の2)がされました。
これによって,遺言書で法定相続分を超える分を共同相続人の一人に認めていても,法定相続分を超える分については対抗要件(登記等)を備えなければ第三者に対抗できないこととなりました。

4.改正法の施行日はいつからかを示します
(1)第1の法律の施行日は次の通りです。
原則 2019年7月1日から施行です。
例外1 自筆証書遺言の方式緩和の部分は,2019年1月13日からです(すでに施行済)。
例外2 配偶者の居住の権利の部分は,2020年4月1日からです。
(2)第2の法律の施行日は次の通りです。
法務局における保管制度は,2020年7月1日から施行です。

5.まとめ
以上のとおり,相続法制の改正の規定の概観を示しました。これらの法改正の内容を知らないと,今後は業務に支障が生じかねませんので注意を要します。
新民法の改正条文も示しましたので詳しくは条文を参照してみてください。
具体的な条文の解説は次回以降にする予定です。

シャモニーのスキー日記

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シャモニー観光協会に掲載されているグランモンテのスキーエリアの写真

1.スキー日記のきっかけを語る
私達夫婦は,ヨーロッパアルプスの中心地の1つ,フランスのシャモニーという街が大好きです。もう10数回はここに来ているでしょうか。その目的は,ヨーロッパアルプスでの山歩き,トレッキングがメインの滞在型の旅行です。妻の京子はトレッキング,山歩きを卒業し,最近は,モンブランなど4000m以上の山々への本格的な登山へとシフトしています。
ところで,私がシャモニーでの滞在日記を書くのは,今回で3度目となります。
第1回目は,京子がアルプスの4000m以上の山々にシャモニーの山岳組合のガイドと一緒に挑戦している最中に,宿で避暑を兼ねながら「税金裁判ものがたり」という本の執筆をした時の様子を書き下ろしたシャモニーでの執筆日記です。これを読んだ多くの友人がシャモニーでの執筆が仕事の合間の活力源になっていることを知り,高く評価してくれた様です。
次いで第2回目は,私が弁護士10年で自分の事務所を持ち,自由に京子と二人で海外旅行をするようになり,トレッキングや山登りを楽しんできた様子を記したシャモニーでの滞在日記です。この中ではシャモニーの観光協会で働いていたベルナデットさんと親しくなり,いろいろお世話になった様子をベースにして,私と京子のシャモニーでの滞在の様子を書きました。
そして3回目が今回です。今回は,シャモニーを起点にしたスキー目的での滞在の様子をこれまでの経過を踏まえて,ご披露したいと思います。
ところで,これまでシャモニーには主に夏に来ていました。それは,夏場は裁判の期日が入らず比較的長期の休みが取り易かったからです。でも,3月の中旬以降4月の上旬までの間は意外と裁判期日が入らないことに気が付きました。それは,裁判官の異動時期であり継続中の裁判が事実上入らないことが多いためです。
そこで,シャモニーの山岳組合の企画で,「冬場に何か楽しめるものはないか」を検索してみたところ,スキーツアーやスノーシューイングツアーがあることを知りました。そのため,まずスノーシューイングのツアーに参加してみようと思いました。雪の中をスノーシューをつけて歩くのは思ったより大変でした。場所によっては体半分位雪の中に沈んでしまいます。でも汗をかいてからシャモニー郊外にあるスパに入るのは楽しいものでした。特にモンブランのイタリア側の拠点,クールマイヤーには,山に囲まれた中に大きな温泉のような施設があり(水着をつけて入ります),疲れた体を癒すには絶好の場所でした。
ところで,スノーシューイングのためクールマイヤーに行った時と思います。小さな子供(4歳から5歳位)がお父さんと一緒にクロスカントリースキーを楽しそうにしているのを見かけました。スノーシューイングと違って,クロスカントリースキーでは,スティックを持ち早歩きをするように両手を交互に振りながら前に進むので,私でも簡単にできるのではないかと思ったのです(これが大間違いであったことは後でお話しします)。

2.フローリアンの誘いに乗る
ところでシャモニーへ戻ってからです。ベルナデットさんにこのことを話すと,シャモニーの山岳組合にあるクロスカントリーの教室の存在とスキー場を教えてくれました。そこで,初めて翌年シャモニーでクロスカントリースキーにチャレンジすることにしたのです。それが2013年の3月のことです。
クロスカントリーには,歩くように進むクラッシクな方法と,スケートのような方法で片足で蹴りながら進む方法の2通りあるようです。我々は初めてなので歩くようにして進む方法を教えてもらうことにしました。そこで,クロスカントリーオフィスの近くにあるスポーツ店でクロスカントリー用のスキー板(クラシック用)と靴を借り,準備をしました。この時の講師は,50歳位の小柄な女性で,親切に基礎から教えてくれました。我々の滑ったシャモニーの初心者用のクロスカントリーのコースは全く平坦なコースでしたので,無事初滑りを楽しむことができたのです(勿論,山の中を走る上級コースも併設されていますが,私たちの選択外です)。
このクロスカントリーのスキーコースは,夏場は私のお気に入りの散策コースのすぐ隣に位置しており,お弁当を持って林の中を歩くのが楽しみなところだったのです。
丁度,この頃です。京子は山岳組合でモンブランの登頂にチャレンジするために,若いガイドを紹介してもらいました。それが,フローリアンというガイドでした。彼は長野オリンピックやワールドカップに何度も参加したことがあるクロスカントリーの選手です。シャモニーでは,スキーのワールドカップが開催されたこともあり,その彼が,翌2014年の夏に京子をモンブランに連れて行ってくれたのです。
ところが2016年頃,彼が私達に,「クロスカントリースキーを教えてあげるから冬に来ないか」と誘ってきたのです。私たちはそれを聞いて驚くと同時に,にわかに色めき立ちました。特に京子は高校時代にスキーをして以来の本格的スキーでもあり,私が全くスキーをしたことがなかったため,半分スキーを楽しむことを諦めていたからです。

3.クロスカントリースキーでの悲劇が発生
それからです。私達夫婦の日本でのスキーの特訓が始まりました。とはいっても,私は60歳を過ぎてから初めてのスキーでしたので大変です。最初に京子の実家の岡山から比較的近い大山・蒜山のスキー場でスキー教室に参加し,子供たちと一緒に,講師の先生から手ほどきを受けました。その内容は,両足でスキー板を八の字に広げてスピードをコントロールしながら滑るボーゲンという方法をマスターすることです。
京子は「昔とった杵柄」ですぐにボーゲンを何とかマスターして滑れるようになりました。でも私はなかなかうまくできません。これでも,中学時代は器械体操の選手として地方大会で個人総合優勝をしたこともあり,もう少し運動能力があると思っていましたが,残念ながら年齢には勝てません。それでも機会を重ねる毎に少しずつ滑れるようになり,2017年3月に遂にフローリアンに,クロスカントリースキーに連れて行ってもらうことしたのです。でも,そこでとんでもない悲劇が待ち受けていました。
2017年3月15日にシャモニーの宿サボアに着き,翌朝9時にフローリアンが車でサボアに迎えに来てくれました。早速クロスカントリー用のスキー板と靴をレンタルショップで借りて,モンブラントンネルを超えたところにあるイタリア側のクールマイヤーの広いクロスカントリー用のスキー場へ出かけました。
フローリアンには「私は全くのビギナーだから」と念を押しておき,安全な場所で教えてもらえるようにしました。そのせいか,午前中は何とか転ばずに必死に滑りきることができました。それは予めコースには2本のシュプールができており,その上を滑って行けばコースを外れず進むことができて,安全なように思えたからでした。でも,いきなり2時間以上も走ったため,汗をかき,かなり足元がふらつき出しました。何とか昼食をとり休憩することができましたが,その直後でした。バランスを崩して頭からステンと転んでしまいました。おそらくまだ疲労が蓄積していたと思います。その後は遅れがちな私をおいて,京子は一人で先に行ってしまい,やむを得ずフローリアンは私に付き添いながら一緒に滑ってくれました。
その時です。私は,ちょっと下り坂となっていたところで,大きくバランスを崩してまた転んでしまったのです。ところが,スティックが左手から離れず,スティックを持ったまま左手が体の内側に入り,左肘で左胸を強打してしまい,しばらく起き上がることは勿論,動くこともできません。フローリアンの手助けでやっとのことで起き上がることができたものの,痛くてもう滑ることはできず,ゆっくり歩いて駐車場まで戻ったのです。

4.怪我の教訓は何か
さて,この時の教訓として,「スティックの先についている紐の穴には手首を通すことはせず,紐の上からスティックを握らないと転んだ時にスティックが手から離れず,非常に危険なこととなり得る」ということです。このことは京子から「日本山岳会でも教えてもらったことだ」と聞きました。以後,私はスティックを紐の上から持つようにしたことは言うまでもありません。
日本に帰ってからすぐ病院でCTをとってもらったところ,肋骨が4本も折れていたということでした。私はこの冬にシャモニーに着いて,わずか2日目で負傷してしまったために,以後は宿で寝ているだけの,散々なクロスカントリースキー旅行だったのです。
ところで,余談となりますが,実はもっと辛いことがありました。当時は肋骨が4本も折れていたことを知りませんでした。しかしそのせいか,ベッドから自由に起き上がることもできず,くしゃみをすると胸に響いて痛くてたまりません。それに追い打ちをかけたのが,運動不足で内臓が不活発となり,トイレで踏ん張ることができません。そのためひどい便秘に苦しめられたのです。ジュネーブ空港のクリニックで便秘の薬をもらいましたがすぐには効果がありません。結局,日本に戻って病院で薬をもらってから便通が生じ,やっと楽になった次第です。
以後,私は海外に出るときには,念のため必ず便秘の薬を持参するようにしました。尾籠な話で申し訳ありませんが,日本の「ウォシュレット」は,私にとって「ノーベル賞級のすごい発明だ」と思います。日本にいるときには,このおかげで常にお尻を刺激するため,便秘にならずに済むようになったからです。海外では国際空港でも「ウォシュレット」付きの便座は私が知る限りまだありません(但し,日本の関西空港にはあります)。
クロスカントリースキーと言えども,アルペンスキーと同じようにボーゲンの十分な練習が絶対に必要だと思った次第です(後日,京子の話によると,クロスカントリーでのボーゲンは腰を落して足に力を入れないとブレーキがきかないとのことです)。
それからは,京子と二人で冬の時期には比較的近くのスキー場を中心に出かけて練習をしました。蒜山のベアバレースキー場,琵琶湖バレースキー場,箱館山スキー場などです。私はかろうじてボーゲンで滑れるようになり,京子はボーゲンからスキー板を平行にして滑るパラレルへと進化し出したのです。

5.ベルトランドを紹介される
さて,2018年3月,フローリアンに再度クロスカントリースキーに連れて行ってもらうため,連絡を取りました。ところが,フローリアンから,我々が予定していた3月中旬は,山岳組合の企画するシャモニーからチェルマットに1週間かけてスキーで移動する「オートルート」のガイドの予定が入っており,私たちを,ガイドをすることはできないとの連絡を受けました。
この「オートルート」の企画には,これまで夏に一度参加したことがありましたが,3000m級の峠をいくつも超えてアルプスの山の中を泊り歩くかなりハードな上級のトレッキングコースです。これをスキーを履いて超えるということは,かなり力量のあるガイドでないと無理だと思いました。おそらく,オリンピックにも出場の経験のあるフローリアンに白羽の矢が立ったのだと思います。
そのため,フローリアンは,同じようにシャモニーでガイドをしている兄のベルトランドを私達に紹介してくれました。おそらくガイドとしてはフローリアンの方がキャリアは長いと思います。特に「クロスカントリースキーの能力では,フローリアンの方が圧倒的に上だった」と彼は言いました。そうは言っても,彼の夢も「長野オリンピックに出ることだった」と語ってくれました。ベルトランドは,いかにもスキーの講師という感じで,フローリアンと違ってとても親切そうな感じでした。
この時ベルトランドにスキーのガイドをお願いしたのは,3月19日(月)から5日間のプライベートレッスンです。でも,天候の悪い日もあり,行ったのはルトゥール(シャラミオン),レジュース(プラリオン),クールマイヤーです。
その間,私は宿の前にあるサボアのゲレンデで休憩を十分とりながら滑る毎日でした。ここは明らかに初級用のゲレンデですから,危険はほとんどありません。長・短のTボンバー2本(股にバーを挟むと引っ掛けるように引っ張ってくれながら進む簡易のリフトのようなもので,チェアーリフトすらないところに設置されています。でも日本では見かけません)と動く歩道のようなレーンがあり,小さな子供も遊んでいます。ここで,ボーゲンでSの字で下りつつ滑る練習をしたのです。日本での練習の効果は十分あったと思います。でもTボンバーはしっかりと立ち,股でバーをしっかり挟んでスキーを滑らせながら進まないとバランスを崩してしまうことがあり,私は慣れるまで2,3回転びました。
他方,京子はベルトランドにそれぞれのスキーエリアの上級用のコースにも連れて行ってもらったようで,何とかボーゲンではなくパラレルでのSの字での降下もできるようになったようです。
次の課題はパラレルでエッジ(ブレーキをかけること)をきかせながらターンをしつつ急な下りを降下することです。映画やビデオなどでスキーをつけたままブレーキをかけながら急斜面を下っている姿を見かけることがありますが,これがパラレルターンで,かなりの熟練者でないとできないことなのです。

6.スキーは年をとってもできるスポーツと教えられる
さて,この年の5月頃です。私のシャモニーでの山歩き,山登りの様子を書いた本を見て,私の友人である同期の弁護士が「シャモニーに行ってみたいので話を聞かせて欲しい」と電話がありました。彼は最近に至り,奥さんと一緒にスキーに凝っており,スイスのツェルマットで滑ったことがあると話してくれたのです。彼の話によると,「スキーは,山登りとは違って,下る方だから年をとっても十分に楽しめるスポーツで,70歳以上の年寄りを対象にしたツアーもある」と教えてくれました。私にとって山登りには限界を感ずる年齢となってきたこともあり,この言葉に大いに勇気づけられたのです。彼は「シャモニーへ行ってみたい」と話していましたが,今回の私のシャモニーのスキー日記を見たら,「冬の時期,スキーをしにシャモニーへ行ってみたい」と言い出すかもしれません。元気なうちにいろいろなところへ行ってみたいと思うことは素晴らしいことだと思う昨今です。

7.バリーブランシュを目指す
さて,いよいよ今回のメインテーマとしての2019年3月のスキーの旅行のお話をしましょう。
今年は,昨年より1週間予定を早めて,フローリアンにガイドをお願いしようと連絡をしましたが,丁度私たちが予定した期間(3月9日から3月16日)は,すでに別の予定が入ってしまい,「兄のベルトランドに頼んでほしい」とのことでした。
実は,京子にしてみれば,フローリアンのクロスカントリースキーよりも,シャモニーの街の中心にあるゴンドラでエギュードミディの頂上まで行き,そこから「馬の背」のような細い場所を下って約3800m地点の雪の積った氷河の上から麓のシャモニーの街まで約23kmに亘って標高差2000mを滑り降りるバリーブランシュ(LA VALIEE BLANCHE)で滑ってみたいと思っていたようです。ベルトランドは「上達すれば,バリーブランシュにも連れて行ってあげるよ」と京子を前年に誘っていた様です。京子は,好都合とばかりにベルトランドにバリーブランシュに連れて行って欲しいとお願いしました。ベルトランドは,「もう少しうまくなることに加え,気象条件が良ければ,OK」という返事です。
私はたまげてしまいました。「マッターホルンに登りたい」と言い出した時にも驚きましたが,モンブラン(4800m以上)を含め,4000m以上のアルプスの山々を登りつつ,着々とマッターホルンへの登頂の準備をしている京子の様子から見て,もはやこれを止めることはできません。ついにバリーブランシュでのスキーに向けての準備が始まったのです。
さて,2019年3月10日の朝9時にベルトランドは京子を迎えに私達のシャモニーでの宿にやってきました。この日は,天候があまり良くなかったので,最初は「リフトの動いているレジュース(プラリオン)へ行く」と言います。私と京子はとりあえず,アルペン用のスキー板と靴をレンタルするために(日本でのレンタル料よりかなり安いです)スポーツ店に連れて行ってもらい,京子はレジュースへ,私は宿に戻って,すぐ前のサボアのゲレンデで滑ることにしたのです。
ところで,今年京子はバリーブランシュにチャレンジしてみたい,と思っていたため,日本では,かなり長くて高低差のあるゲレンデのあるスキー場に練習に行きました。特に地元で恒例となっている催しの,スキー合宿が長野県内のスキー場であり,それにも参加して腕を磨く努力をしているようでした。それ以外にも兵庫県の峰山スキー場や,福井県の勝山市内の大きいスキー場にも私と一緒に出掛けてパラレルで滑る練習をしたのです。
この時です,私はかなりのスピードでゲレンデを滑り降りてくる京子の姿をみて,「腕を上げたなあ」と正直驚いたのです。それが,今年シャモニーにくる1週間前のことでした。
でもシャモニーのスキー場は,日本のスキー場と比べてそんなに甘いものではありません。私が滑っているサボアのゲレンデは別格ですが,大抵のスキー場は,格段に広くて高低差の大きいところが多く,オフピステ(これはゲレンデの外という意味のようです)も存在しており,ベルトランドは,意識的にゲレンデからはずれてオフピステでも滑らせるようにしたのです。
ところで,シャモニー近辺での多くのスキー場ではレベルに応じてポールで色分けがしてあります。黒色が最上級者用の表示で,さらに上級者用の赤色,中級者用の青色,初級者用の緑色と表示されていますが,それ以外にもオフピステがあります。ベルトランドは,黒色や赤色のコースやオフピステのコースを選んで滑らせることが始まったのです。明らかに,バリーブランシュでのスキーを意識しているようでした。でもレジュースでの滑りで,彼は京子に「うまくなった」と言い,前年より進歩しつつあることを認めたのでした。
しかし,翌日またもや私に悲劇が起きてしまいました。私は基本的には無理をせず,初心者用のサボアのゲレンデで,スキー日記を書きながらシャモニーの宿で過ごす予定でしたが,欲張って「1回位はもう少し広い初級者用のゲレンデのあるルトゥールのスキーエリアに連れて行ってほしい」とお願いしていたのです。ルトゥールは夏には私の一番のお気に入りのハイキングコースの1つで,広々とした景色の中を歩くのは最高でしたから,スキーのコースとしてでも素晴らしいはずだと思っていたからです。ベルトランドは,そのため翌3月11日には私も一緒にルトゥールへ連れて行こうとしていたようでしたが,あいにく天候が悪く,ルトゥールのゴンドラは動いていませんでした。やむを得ず,クールマイヤーのスキーエリアに私と京子を連れて行ったのです。
しかし,クールマイヤーでも強風のため,一部しかリフトは動いておりません。とりあえず可能なところまでリフトで上がり,初級用のコースへ私と京子を連れて行きました。でもあまりに風が強く,私の技量ではうまく滑れません。結局転んで左足の膝をひねってしまったため,私はベルトランドの背中に,真後ろから子亀のようにつかまりながら,ボーゲンでゆっくりゲレンデを下ることになったのです。
宿に戻り,足の様子を確認しましたが,左足膝の捻挫のようで,力を入れると痛いのです。そこでそのまま,今回はこれ以上のスキーを断念することになってしまいました。

8.天候は回復せず
他方,京子の方は,レジュース,ルトゥール,ブレバン,グランモンテと次々シャモニーにある著名なスキーエリアに連れて行ってもらいました。そのうちでもグランモンテは,広くて見晴らしの良い上級者用のスキーコースで氷河の上を滑ることができる大変人気のあるスキーエリアだとのことです。そこで,ベルトランドは,いずれも黒色の最上級者コースや赤色の上級者コースの外,オフピステにも誘導して滑っていきます。オフピステでは通常のゲレンデから外れているため,圧雪はされていません。さらに新雪が積っていることが多く,膝の下まで雪に埋もれた状態でスキーを滑らすことになるとのことでした。その際にベルトランドは,「新雪が積っているところでは,絶対ボーゲンをしてはならない,必ずパラレルで滑るように」と京子に教えていました。でも急斜面で怖くなると,どうしても無意識のうちにボーゲンで八の字のようにスキー板を開き,スピードをコントロールしようとしてしまうと京子は言います。すると,とたんバランスを崩して転んでしまうのだそうです。この辺の感覚は,私が体験したことではないから良くわかりませんが,「雪の中ではパラレルでスキー板を広げずに進むようにしないと,スキー板の間に雪が入り込みバランスを崩してしまう」と言うのでした。
結局のところ,パラレルでエッジをきかせながら滑り降りる,パラレルターンができるようにならないとバリーブランシュでは困難なようです。京子は,「オフピステでは何回転んだかわからない」と言い出す有様で,天候が回復して新雪がもう少し,少なくなってほしいと思った様子でした。

9.スキー日記の終わりに向けて
今年の3月上旬は天候が不順のため,雪や雨が多く,我々がシャモニーに滞在中には「バリーブランシュでのスキーは山岳組合でも中止している」とのことでした。ベルトランドは,この時期,まだバリーブランシュには1m50cmから2m位の新雪が積っているため,とても無理だろうと判断しているようで,冗談半分に,両手を広げて「swim,swim」と「雪の中をかき分けることになる」と言いました。
バリーブランシュでのスキーのベストシーズンはもう少し遅く,新雪が解けて固まる3月下旬から4月上旬にかけてとのことらしいです。我々が今回3月上旬にまで早めてシャモニーに来たことは裏目だったようで,フローリアンは,我々をクロスカントリースキーに連れて行こうとしていたためだろうと思います。
でも,京子はバリーブランシュに挑戦するため,日本に帰ってパラレルターンを本格的にマスターしようと決意を新たにしているようです。
最後にここで印象的な言葉を思い出しました。以前,フローリアンにスキーに連れて行ってもらう際に,「スキー用の足はできているのか」と言われたことがあります。その時は良くわかりませんでしたが,今回ベルトランドにオフピステに連れて行ってもらい,新雪の中を滑ったせいか京子は毎日のように「太ももが痛い」と私に訴えて,マッサージを要求したのです。圧雪されていないオフピステで雪をかき分け滑るには,かなり足の筋力が必要で,「スキー用の足を作っておくことが必要だ」,という意味のようでした。今回,京子にとってその意味を実感したスキーの旅でした。
今回のスキー日記は2019年3月9日から3月18日までのシャモニーでの滞在の様子を中心に記したものです。(関戸一考記)

 

税務署も認知症に弱い?

先日,認知症で行方不明となる人が,年間1万人に迫るという報道に接した。
私のところでも,認知症をめぐる問題は近時増加している。
最近,「認知症の親から贈与を受けたが,贈与税の申告をしなかったために,
多額の贈与税と無申告加算税を受けたが,何とかならないか」という相談を受けた。
どうも親のマンションを管理していた娘が,多額の修理費がかかるのを避けるために
別の娘に強引に贈与させたらしいことがわかった。
調べてみると,親はかなり前からアルツハイマー型の認知症だったようだ。
それで,その旨の診断書と最近の裁判例をつけて,贈与の無効を理由とする
減額更正請求手続きをしたところ,税務署は,あっさりとこれを認めて,
収めた税を還付してきた。
税務署も認知症には勝てないようだ。

物納許可の取消事件が終了する

 神戸地裁で争っていた事件が大阪高裁,最高裁と各々1年足らずで敗訴して確定しました。残念です。裁判所は納税者の味方ではありませんでした。
 
 この事件は税金オンブズマンが支援する裁判であり,税金オンブズマンとして,この事件で明らかとなった税制度の矛盾を告発するために出版することとなりました。
 
 今年の5月には本ができる予定です。題は「裁判所は国税局の手先か」と考えています。この本は国税局のだまし討ちのような主張をあっさりと追認した裁判所に対する怒りを込めています。
 是非お読み下さい。

物納許可事件の判決が出される

 15年間放置されてきた物納許可処分の違法を争った事件の判決が平成23年3月3日に神戸地裁でありました。残念ながら請求は棄却です。

 物納許可処分が15年間放置されたために、多額の延滞税が発生し、その間に時価は下がり続け、物納物件を売却しても、税がおさめられない事態となりました。

 常識的に考えて誰もがおかしいと思う事件ですが、判決は国の言うがままです。

 税金裁判は勝訴することは難しいといえばそれまでですが、本人の悲痛な叫びを受け止める感性が若い裁判官にはないのかと思うと悲しくなりました。