シャモニーのスキー日記

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シャモニー観光協会に掲載されているグランモンテのスキーエリアの写真

1.スキー日記のきっかけを語る
私達夫婦は,ヨーロッパアルプスの中心地の1つ,フランスのシャモニーという街が大好きです。もう10数回はここに来ているでしょうか。その目的は,ヨーロッパアルプスでの山歩き,トレッキングがメインの滞在型の旅行です。妻の京子はトレッキング,山歩きを卒業し,最近は,モンブランなど4000m以上の山々への本格的な登山へとシフトしています。
ところで,私がシャモニーでの滞在日記を書くのは,今回で3度目となります。
第1回目は,京子がアルプスの4000m以上の山々にシャモニーの山岳組合のガイドと一緒に挑戦している最中に,宿で避暑を兼ねながら「税金裁判ものがたり」という本の執筆をした時の様子を書き下ろしたシャモニーでの執筆日記です。これを読んだ多くの友人がシャモニーでの執筆が仕事の合間の活力源になっていることを知り,高く評価してくれた様です。
次いで第2回目は,私が弁護士10年で自分の事務所を持ち,自由に京子と二人で海外旅行をするようになり,トレッキングや山登りを楽しんできた様子を記したシャモニーでの滞在日記です。この中ではシャモニーの観光協会で働いていたベルナデットさんと親しくなり,いろいろお世話になった様子をベースにして,私と京子のシャモニーでの滞在の様子を書きました。
そして3回目が今回です。今回は,シャモニーを起点にしたスキー目的での滞在の様子をこれまでの経過を踏まえて,ご披露したいと思います。
ところで,これまでシャモニーには主に夏に来ていました。それは,夏場は裁判の期日が入らず比較的長期の休みが取り易かったからです。でも,3月の中旬以降4月の上旬までの間は意外と裁判期日が入らないことに気が付きました。それは,裁判官の異動時期であり継続中の裁判が事実上入らないことが多いためです。
そこで,シャモニーの山岳組合の企画で,「冬場に何か楽しめるものはないか」を検索してみたところ,スキーツアーやスノーシューイングツアーがあることを知りました。そのため,まずスノーシューイングのツアーに参加してみようと思いました。雪の中をスノーシューをつけて歩くのは思ったより大変でした。場所によっては体半分位雪の中に沈んでしまいます。でも汗をかいてからシャモニー郊外にあるスパに入るのは楽しいものでした。特にモンブランのイタリア側の拠点,クールマイヤーには,山に囲まれた中に大きな温泉のような施設があり(水着をつけて入ります),疲れた体を癒すには絶好の場所でした。
ところで,スノーシューイングのためクールマイヤーに行った時と思います。小さな子供(4歳から5歳位)がお父さんと一緒にクロスカントリースキーを楽しそうにしているのを見かけました。スノーシューイングと違って,クロスカントリースキーでは,スティックを持ち早歩きをするように両手を交互に振りながら前に進むので,私でも簡単にできるのではないかと思ったのです(これが大間違いであったことは後でお話しします)。

2.フローリアンの誘いに乗る
ところでシャモニーへ戻ってからです。ベルナデットさんにこのことを話すと,シャモニーの山岳組合にあるクロスカントリーの教室の存在とスキー場を教えてくれました。そこで,初めて翌年シャモニーでクロスカントリースキーにチャレンジすることにしたのです。それが2013年の3月のことです。
クロスカントリーには,歩くように進むクラッシクな方法と,スケートのような方法で片足で蹴りながら進む方法の2通りあるようです。我々は初めてなので歩くようにして進む方法を教えてもらうことにしました。そこで,クロスカントリーオフィスの近くにあるスポーツ店でクロスカントリー用のスキー板(クラシック用)と靴を借り,準備をしました。この時の講師は,50歳位の小柄な女性で,親切に基礎から教えてくれました。我々の滑ったシャモニーの初心者用のクロスカントリーのコースは全く平坦なコースでしたので,無事初滑りを楽しむことができたのです(勿論,山の中を走る上級コースも併設されていますが,私たちの選択外です)。
このクロスカントリーのスキーコースは,夏場は私のお気に入りの散策コースのすぐ隣に位置しており,お弁当を持って林の中を歩くのが楽しみなところだったのです。
丁度,この頃です。京子は山岳組合でモンブランの登頂にチャレンジするために,若いガイドを紹介してもらいました。それが,フローリアンというガイドでした。彼は長野オリンピックやワールドカップに何度も参加したことがあるクロスカントリーの選手です。シャモニーでは,スキーのワールドカップが開催されたこともあり,その彼が,翌2014年の夏に京子をモンブランに連れて行ってくれたのです。
ところが2016年頃,彼が私達に,「クロスカントリースキーを教えてあげるから冬に来ないか」と誘ってきたのです。私たちはそれを聞いて驚くと同時に,にわかに色めき立ちました。特に京子は高校時代にスキーをして以来の本格的スキーでもあり,私が全くスキーをしたことがなかったため,半分スキーを楽しむことを諦めていたからです。

3.クロスカントリースキーでの悲劇が発生
それからです。私達夫婦の日本でのスキーの特訓が始まりました。とはいっても,私は60歳を過ぎてから初めてのスキーでしたので大変です。最初に京子の実家の岡山から比較的近い大山・蒜山のスキー場でスキー教室に参加し,子供たちと一緒に,講師の先生から手ほどきを受けました。その内容は,両足でスキー板を八の字に広げてスピードをコントロールしながら滑るボーゲンという方法をマスターすることです。
京子は「昔とった杵柄」ですぐにボーゲンを何とかマスターして滑れるようになりました。でも私はなかなかうまくできません。これでも,中学時代は器械体操の選手として地方大会で個人総合優勝をしたこともあり,もう少し運動能力があると思っていましたが,残念ながら年齢には勝てません。それでも機会を重ねる毎に少しずつ滑れるようになり,2017年3月に遂にフローリアンに,クロスカントリースキーに連れて行ってもらうことしたのです。でも,そこでとんでもない悲劇が待ち受けていました。
2017年3月15日にシャモニーの宿サボアに着き,翌朝9時にフローリアンが車でサボアに迎えに来てくれました。早速クロスカントリー用のスキー板と靴をレンタルショップで借りて,モンブラントンネルを超えたところにあるイタリア側のクールマイヤーの広いクロスカントリー用のスキー場へ出かけました。
フローリアンには「私は全くのビギナーだから」と念を押しておき,安全な場所で教えてもらえるようにしました。そのせいか,午前中は何とか転ばずに必死に滑りきることができました。それは予めコースには2本のシュプールができており,その上を滑って行けばコースを外れず進むことができて,安全なように思えたからでした。でも,いきなり2時間以上も走ったため,汗をかき,かなり足元がふらつき出しました。何とか昼食をとり休憩することができましたが,その直後でした。バランスを崩して頭からステンと転んでしまいました。おそらくまだ疲労が蓄積していたと思います。その後は遅れがちな私をおいて,京子は一人で先に行ってしまい,やむを得ずフローリアンは私に付き添いながら一緒に滑ってくれました。
その時です。私は,ちょっと下り坂となっていたところで,大きくバランスを崩してまた転んでしまったのです。ところが,スティックが左手から離れず,スティックを持ったまま左手が体の内側に入り,左肘で左胸を強打してしまい,しばらく起き上がることは勿論,動くこともできません。フローリアンの手助けでやっとのことで起き上がることができたものの,痛くてもう滑ることはできず,ゆっくり歩いて駐車場まで戻ったのです。

4.怪我の教訓は何か
さて,この時の教訓として,「スティックの先についている紐の穴には手首を通すことはせず,紐の上からスティックを握らないと転んだ時にスティックが手から離れず,非常に危険なこととなり得る」ということです。このことは京子から「日本山岳会でも教えてもらったことだ」と聞きました。以後,私はスティックを紐の上から持つようにしたことは言うまでもありません。
日本に帰ってからすぐ病院でCTをとってもらったところ,肋骨が4本も折れていたということでした。私はこの冬にシャモニーに着いて,わずか2日目で負傷してしまったために,以後は宿で寝ているだけの,散々なクロスカントリースキー旅行だったのです。
ところで,余談となりますが,実はもっと辛いことがありました。当時は肋骨が4本も折れていたことを知りませんでした。しかしそのせいか,ベッドから自由に起き上がることもできず,くしゃみをすると胸に響いて痛くてたまりません。それに追い打ちをかけたのが,運動不足で内臓が不活発となり,トイレで踏ん張ることができません。そのためひどい便秘に苦しめられたのです。ジュネーブ空港のクリニックで便秘の薬をもらいましたがすぐには効果がありません。結局,日本に戻って病院で薬をもらってから便通が生じ,やっと楽になった次第です。
以後,私は海外に出るときには,念のため必ず便秘の薬を持参するようにしました。尾籠な話で申し訳ありませんが,日本の「ウォシュレット」は,私にとって「ノーベル賞級のすごい発明だ」と思います。日本にいるときには,このおかげで常にお尻を刺激するため,便秘にならずに済むようになったからです。海外では国際空港でも「ウォシュレット」付きの便座は私が知る限りまだありません(但し,日本の関西空港にはあります)。
クロスカントリースキーと言えども,アルペンスキーと同じようにボーゲンの十分な練習が絶対に必要だと思った次第です(後日,京子の話によると,クロスカントリーでのボーゲンは腰を落して足に力を入れないとブレーキがきかないとのことです)。
それからは,京子と二人で冬の時期には比較的近くのスキー場を中心に出かけて練習をしました。蒜山のベアバレースキー場,琵琶湖バレースキー場,箱館山スキー場などです。私はかろうじてボーゲンで滑れるようになり,京子はボーゲンからスキー板を平行にして滑るパラレルへと進化し出したのです。

5.ベルトランドを紹介される
さて,2018年3月,フローリアンに再度クロスカントリースキーに連れて行ってもらうため,連絡を取りました。ところが,フローリアンから,我々が予定していた3月中旬は,山岳組合の企画するシャモニーからチェルマットに1週間かけてスキーで移動する「オートルート」のガイドの予定が入っており,私たちを,ガイドをすることはできないとの連絡を受けました。
この「オートルート」の企画には,これまで夏に一度参加したことがありましたが,3000m級の峠をいくつも超えてアルプスの山の中を泊り歩くかなりハードな上級のトレッキングコースです。これをスキーを履いて超えるということは,かなり力量のあるガイドでないと無理だと思いました。おそらく,オリンピックにも出場の経験のあるフローリアンに白羽の矢が立ったのだと思います。
そのため,フローリアンは,同じようにシャモニーでガイドをしている兄のベルトランドを私達に紹介してくれました。おそらくガイドとしてはフローリアンの方がキャリアは長いと思います。特に「クロスカントリースキーの能力では,フローリアンの方が圧倒的に上だった」と彼は言いました。そうは言っても,彼の夢も「長野オリンピックに出ることだった」と語ってくれました。ベルトランドは,いかにもスキーの講師という感じで,フローリアンと違ってとても親切そうな感じでした。
この時ベルトランドにスキーのガイドをお願いしたのは,3月19日(月)から5日間のプライベートレッスンです。でも,天候の悪い日もあり,行ったのはルトゥール(シャラミオン),レジュース(プラリオン),クールマイヤーです。
その間,私は宿の前にあるサボアのゲレンデで休憩を十分とりながら滑る毎日でした。ここは明らかに初級用のゲレンデですから,危険はほとんどありません。長・短のTボンバー2本(股にバーを挟むと引っ掛けるように引っ張ってくれながら進む簡易のリフトのようなもので,チェアーリフトすらないところに設置されています。でも日本では見かけません)と動く歩道のようなレーンがあり,小さな子供も遊んでいます。ここで,ボーゲンでSの字で下りつつ滑る練習をしたのです。日本での練習の効果は十分あったと思います。でもTボンバーはしっかりと立ち,股でバーをしっかり挟んでスキーを滑らせながら進まないとバランスを崩してしまうことがあり,私は慣れるまで2,3回転びました。
他方,京子はベルトランドにそれぞれのスキーエリアの上級用のコースにも連れて行ってもらったようで,何とかボーゲンではなくパラレルでのSの字での降下もできるようになったようです。
次の課題はパラレルでエッジ(ブレーキをかけること)をきかせながらターンをしつつ急な下りを降下することです。映画やビデオなどでスキーをつけたままブレーキをかけながら急斜面を下っている姿を見かけることがありますが,これがパラレルターンで,かなりの熟練者でないとできないことなのです。

6.スキーは年をとってもできるスポーツと教えられる
さて,この年の5月頃です。私のシャモニーでの山歩き,山登りの様子を書いた本を見て,私の友人である同期の弁護士が「シャモニーに行ってみたいので話を聞かせて欲しい」と電話がありました。彼は最近に至り,奥さんと一緒にスキーに凝っており,スイスのツェルマットで滑ったことがあると話してくれたのです。彼の話によると,「スキーは,山登りとは違って,下る方だから年をとっても十分に楽しめるスポーツで,70歳以上の年寄りを対象にしたツアーもある」と教えてくれました。私にとって山登りには限界を感ずる年齢となってきたこともあり,この言葉に大いに勇気づけられたのです。彼は「シャモニーへ行ってみたい」と話していましたが,今回の私のシャモニーのスキー日記を見たら,「冬の時期,スキーをしにシャモニーへ行ってみたい」と言い出すかもしれません。元気なうちにいろいろなところへ行ってみたいと思うことは素晴らしいことだと思う昨今です。

7.バリーブランシュを目指す
さて,いよいよ今回のメインテーマとしての2019年3月のスキーの旅行のお話をしましょう。
今年は,昨年より1週間予定を早めて,フローリアンにガイドをお願いしようと連絡をしましたが,丁度私たちが予定した期間(3月9日から3月16日)は,すでに別の予定が入ってしまい,「兄のベルトランドに頼んでほしい」とのことでした。
実は,京子にしてみれば,フローリアンのクロスカントリースキーよりも,シャモニーの街の中心にあるゴンドラでエギュードミディの頂上まで行き,そこから「馬の背」のような細い場所を下って約3800m地点の雪の積った氷河の上から麓のシャモニーの街まで約23kmに亘って標高差2000mを滑り降りるバリーブランシュ(LA VALIEE BLANCHE)で滑ってみたいと思っていたようです。ベルトランドは「上達すれば,バリーブランシュにも連れて行ってあげるよ」と京子を前年に誘っていた様です。京子は,好都合とばかりにベルトランドにバリーブランシュに連れて行って欲しいとお願いしました。ベルトランドは,「もう少しうまくなることに加え,気象条件が良ければ,OK」という返事です。
私はたまげてしまいました。「マッターホルンに登りたい」と言い出した時にも驚きましたが,モンブラン(4800m以上)を含め,4000m以上のアルプスの山々を登りつつ,着々とマッターホルンへの登頂の準備をしている京子の様子から見て,もはやこれを止めることはできません。ついにバリーブランシュでのスキーに向けての準備が始まったのです。
さて,2019年3月10日の朝9時にベルトランドは京子を迎えに私達のシャモニーでの宿にやってきました。この日は,天候があまり良くなかったので,最初は「リフトの動いているレジュース(プラリオン)へ行く」と言います。私と京子はとりあえず,アルペン用のスキー板と靴をレンタルするために(日本でのレンタル料よりかなり安いです)スポーツ店に連れて行ってもらい,京子はレジュースへ,私は宿に戻って,すぐ前のサボアのゲレンデで滑ることにしたのです。
ところで,今年京子はバリーブランシュにチャレンジしてみたい,と思っていたため,日本では,かなり長くて高低差のあるゲレンデのあるスキー場に練習に行きました。特に地元で恒例となっている催しの,スキー合宿が長野県内のスキー場であり,それにも参加して腕を磨く努力をしているようでした。それ以外にも兵庫県の峰山スキー場や,福井県の勝山市内の大きいスキー場にも私と一緒に出掛けてパラレルで滑る練習をしたのです。
この時です,私はかなりのスピードでゲレンデを滑り降りてくる京子の姿をみて,「腕を上げたなあ」と正直驚いたのです。それが,今年シャモニーにくる1週間前のことでした。
でもシャモニーのスキー場は,日本のスキー場と比べてそんなに甘いものではありません。私が滑っているサボアのゲレンデは別格ですが,大抵のスキー場は,格段に広くて高低差の大きいところが多く,オフピステ(これはゲレンデの外という意味のようです)も存在しており,ベルトランドは,意識的にゲレンデからはずれてオフピステでも滑らせるようにしたのです。
ところで,シャモニー近辺での多くのスキー場ではレベルに応じてポールで色分けがしてあります。黒色が最上級者用の表示で,さらに上級者用の赤色,中級者用の青色,初級者用の緑色と表示されていますが,それ以外にもオフピステがあります。ベルトランドは,黒色や赤色のコースやオフピステのコースを選んで滑らせることが始まったのです。明らかに,バリーブランシュでのスキーを意識しているようでした。でもレジュースでの滑りで,彼は京子に「うまくなった」と言い,前年より進歩しつつあることを認めたのでした。
しかし,翌日またもや私に悲劇が起きてしまいました。私は基本的には無理をせず,初心者用のサボアのゲレンデで,スキー日記を書きながらシャモニーの宿で過ごす予定でしたが,欲張って「1回位はもう少し広い初級者用のゲレンデのあるルトゥールのスキーエリアに連れて行ってほしい」とお願いしていたのです。ルトゥールは夏には私の一番のお気に入りのハイキングコースの1つで,広々とした景色の中を歩くのは最高でしたから,スキーのコースとしてでも素晴らしいはずだと思っていたからです。ベルトランドは,そのため翌3月11日には私も一緒にルトゥールへ連れて行こうとしていたようでしたが,あいにく天候が悪く,ルトゥールのゴンドラは動いていませんでした。やむを得ず,クールマイヤーのスキーエリアに私と京子を連れて行ったのです。
しかし,クールマイヤーでも強風のため,一部しかリフトは動いておりません。とりあえず可能なところまでリフトで上がり,初級用のコースへ私と京子を連れて行きました。でもあまりに風が強く,私の技量ではうまく滑れません。結局転んで左足の膝をひねってしまったため,私はベルトランドの背中に,真後ろから子亀のようにつかまりながら,ボーゲンでゆっくりゲレンデを下ることになったのです。
宿に戻り,足の様子を確認しましたが,左足膝の捻挫のようで,力を入れると痛いのです。そこでそのまま,今回はこれ以上のスキーを断念することになってしまいました。

8.天候は回復せず
他方,京子の方は,レジュース,ルトゥール,ブレバン,グランモンテと次々シャモニーにある著名なスキーエリアに連れて行ってもらいました。そのうちでもグランモンテは,広くて見晴らしの良い上級者用のスキーコースで氷河の上を滑ることができる大変人気のあるスキーエリアだとのことです。そこで,ベルトランドは,いずれも黒色の最上級者コースや赤色の上級者コースの外,オフピステにも誘導して滑っていきます。オフピステでは通常のゲレンデから外れているため,圧雪はされていません。さらに新雪が積っていることが多く,膝の下まで雪に埋もれた状態でスキーを滑らすことになるとのことでした。その際にベルトランドは,「新雪が積っているところでは,絶対ボーゲンをしてはならない,必ずパラレルで滑るように」と京子に教えていました。でも急斜面で怖くなると,どうしても無意識のうちにボーゲンで八の字のようにスキー板を開き,スピードをコントロールしようとしてしまうと京子は言います。すると,とたんバランスを崩して転んでしまうのだそうです。この辺の感覚は,私が体験したことではないから良くわかりませんが,「雪の中ではパラレルでスキー板を広げずに進むようにしないと,スキー板の間に雪が入り込みバランスを崩してしまう」と言うのでした。
結局のところ,パラレルでエッジをきかせながら滑り降りる,パラレルターンができるようにならないとバリーブランシュでは困難なようです。京子は,「オフピステでは何回転んだかわからない」と言い出す有様で,天候が回復して新雪がもう少し,少なくなってほしいと思った様子でした。

9.スキー日記の終わりに向けて
今年の3月上旬は天候が不順のため,雪や雨が多く,我々がシャモニーに滞在中には「バリーブランシュでのスキーは山岳組合でも中止している」とのことでした。ベルトランドは,この時期,まだバリーブランシュには1m50cmから2m位の新雪が積っているため,とても無理だろうと判断しているようで,冗談半分に,両手を広げて「swim,swim」と「雪の中をかき分けることになる」と言いました。
バリーブランシュでのスキーのベストシーズンはもう少し遅く,新雪が解けて固まる3月下旬から4月上旬にかけてとのことらしいです。我々が今回3月上旬にまで早めてシャモニーに来たことは裏目だったようで,フローリアンは,我々をクロスカントリースキーに連れて行こうとしていたためだろうと思います。
でも,京子はバリーブランシュに挑戦するため,日本に帰ってパラレルターンを本格的にマスターしようと決意を新たにしているようです。
最後にここで印象的な言葉を思い出しました。以前,フローリアンにスキーに連れて行ってもらう際に,「スキー用の足はできているのか」と言われたことがあります。その時は良くわかりませんでしたが,今回ベルトランドにオフピステに連れて行ってもらい,新雪の中を滑ったせいか京子は毎日のように「太ももが痛い」と私に訴えて,マッサージを要求したのです。圧雪されていないオフピステで雪をかき分け滑るには,かなり足の筋力が必要で,「スキー用の足を作っておくことが必要だ」,という意味のようでした。今回,京子にとってその意味を実感したスキーの旅でした。
今回のスキー日記は2019年3月9日から3月18日までのシャモニーでの滞在の様子を中心に記したものです。(関戸一考記)

 

税務署も認知症に弱い?

先日,認知症で行方不明となる人が,年間1万人に迫るという報道に接した。
私のところでも,認知症をめぐる問題は近時増加している。
最近,「認知症の親から贈与を受けたが,贈与税の申告をしなかったために,
多額の贈与税と無申告加算税を受けたが,何とかならないか」という相談を受けた。
どうも親のマンションを管理していた娘が,多額の修理費がかかるのを避けるために
別の娘に強引に贈与させたらしいことがわかった。
調べてみると,親はかなり前からアルツハイマー型の認知症だったようだ。
それで,その旨の診断書と最近の裁判例をつけて,贈与の無効を理由とする
減額更正請求手続きをしたところ,税務署は,あっさりとこれを認めて,
収めた税を還付してきた。
税務署も認知症には勝てないようだ。

物納許可の取消事件が終了する

 神戸地裁で争っていた事件が大阪高裁,最高裁と各々1年足らずで敗訴して確定しました。残念です。裁判所は納税者の味方ではありませんでした。
 
 この事件は税金オンブズマンが支援する裁判であり,税金オンブズマンとして,この事件で明らかとなった税制度の矛盾を告発するために出版することとなりました。
 
 今年の5月には本ができる予定です。題は「裁判所は国税局の手先か」と考えています。この本は国税局のだまし討ちのような主張をあっさりと追認した裁判所に対する怒りを込めています。
 是非お読み下さい。

物納許可事件の判決が出される

 15年間放置されてきた物納許可処分の違法を争った事件の判決が平成23年3月3日に神戸地裁でありました。残念ながら請求は棄却です。

 物納許可処分が15年間放置されたために、多額の延滞税が発生し、その間に時価は下がり続け、物納物件を売却しても、税がおさめられない事態となりました。

 常識的に考えて誰もがおかしいと思う事件ですが、判決は国の言うがままです。

 税金裁判は勝訴することは難しいといえばそれまでですが、本人の悲痛な叫びを受け止める感性が若い裁判官にはないのかと思うと悲しくなりました。